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2022

【全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会 体験記】

11月11日(金)から11月13日(日)にかけて行われました、全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会での経験を通して、感じたことや学んだことを部員が体験記として綴りました。

弊部より参加した、新井 健太(4年/商学部/内野手)、山地 広大(3年/スポーツ科学部/トレーナー)、池田 有矢(2年/スポーツ科学部/マネージャー)の3名による体験記です。

ぜひご覧ください!


《全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会 体験記》

○新井 健太(あらい けんた)

4年/商学部/内野手


甲子園大会は私にとって野球人生の集大成となる大会でした。準硬初の聖地甲子園での試合に東日本選抜として出場するというこれまでにない大舞台に、野球人生の全てを懸けて臨みました。しかし、雨により試合は中止になってしまいました。


それでもこの3日間の遠征は野球人生の集大成にふさわしいものだったと思います。多くのプログラムに取り組む中で、全国から集まった準硬を愛する同志たちと交流を深めることができました。2日目には東日本選抜対西日本選抜の練習試合が行われ、準硬界トップレベルの試合を経験することができました。甲子園での試合はできませんでしたが、東日本選抜の1番バッターとして起用していただく予定でした。その事実だけでもこれまで頑張ってきたことが報われた気がしています。


甲子園で試合をできなかったことは残念でしたが、この大会は間違いなく準硬の歴史に新たな1ページを刻みました。その現場に立ち会うことができて良かったと思います。また来年以降後輩たちが甲子園を目指すことができるよう、これからはOBとして準硬を全力で応援していきたいと思います。


○山地 広大(やまじ こうだい)

3年/スポーツ科学部/トレーナー


「私はまだまだ子供だった」と、この甲子園大会で気付かされました。


ここで言う子供とは、狭い視野を由来とする臆病さを意味しており、私はとても臆病でした。今までの私は、人と話したり交流の輪を広げる事が苦手で、いつも気心の知れた相手と一緒にいました。そうして自分の殻に籠っていました。それはまるで人見知りをする子供のようだったと今では思います。


しかし今回の甲子園大会で多くのメンバーと交流するうちに、今までの考え方は間違っていたと思うようになりました。そこでの出会いは、自分の価値観を塗り替えてくれるものでした。トレーニングに熱心でトレーナーの私に何個も質問をぶつけてくれた選手、他の選手を観察して技術を吸収しようとしていた選手、寝る間を惜しんで大会運営に臨んでくださったスタッフ。そんな一つ一つの仲間との出会いが、臆病で子供だった私の視野を広げてくれました。そしてこのメンバーで甲子園の土を踏めるという事実に、私は今更ながら感謝するようになりました。


しかし甲子園大会の開催は叶いませんでした。当日の天気は雨。それでも互いを鼓舞し、試合開催を心待ちにするメンバーへ、中止の通告が入りました。甲子園大会開催の希望は、絶望へと変わりました。あまりの落胆にしゃべる人はおらず、ベンチ裏は甲子園を濡らす雨音だけが響き渡っていました。ショックのあまり座り込んだり、涙をするメンバーもいました。私も非常に悔しい気持ちでいっぱいで、地団駄を踏んでしまいたいほどでした。大人になり、そういった感情はもう沸き起こらないと思っていましたが、自分の中にもまだまだ童心はありました。


「私はまだまだ子供だった」と、改めて気付かされました。


今回の甲子園大会で、私はトレーナーとして大きく成長できました。多くの人との交流は自分の視野を広げてくれる、という教訓は、今後の人生にも活きてくると確信しています。準硬生活もあと1年、全日本優勝を目指し突っ走っていきます。そして1年後、また甲子園大会が開催されることを心より望んでいます。


○池田 有矢(いけだ あや)

2年/スポーツ科学部/マネージャー


「全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会」

今大会、私はこの試合名を決定させるところから甲子園プロジェクトチームの一員として運営に携わった。この大会が予定されていた11月13日のちょうど半年前、5月13日に甲子園プロジェクトチームは発足した。準硬式野球界初の試み。だからこそ課題は山積みで、プロジェクトチームでの話し合いは、ときに3時間以上にということもあった。


私自身、「甲子園」には特別な憧れがある。というより、野球人であれば誰でも甲子園に憧れがあるだろう。小学校の頃から夏休みはテレビに釘付けになり、甲子園で行われる高校野球を見る毎日。それに憧れ高校ではマネージャーとして野球部に入部。そんな私が、甲子園で行う大会のプロジェクトチームとして運営に関わることができるなんて、こんな絶好の機会はないと思った。


9月28日に行われた記者会見では、司会進行という貴重な役を務めさせていただいた。

憧れの舞台で腕を通すユニフォームこそ、絶対にこだわって納得のいくものをデザインしたい、そんな想いでユニフォームデザイン担当に立候補した。

全国へ準硬式野球の魅力を広めようと、甲子園大会でも配布した準硬式ガイドブック、甲子園タブロイドの作成にも携わった。


このように積極的に活動しようと私を突き動かしたのは、小さい頃から憧れていた「甲子園」が持つ特別感、ただそれだけだった。


11月13日正午過ぎ。土砂降りの雨の中、阪神甲子園球場に鳴り響いたウグイス嬢の中止を告げるアナウンス。少し前に球場側から中止の連絡は受けていたが、球場に響く「中止」という言葉は私の中に重くのしかかった。憧れの舞台で野球をできる機会を目の前にして逃した。半年間やってきたことが水の泡になってしまうのかと頭をよぎった。

そんな失望感の中、サプライズで盛り上げてくれた名城大学のブラスバンド演奏。応援に駆けつけた保護者や仲間たちの温かい声援。東西選抜メンバーが私のデザインしたユニフォームに腕を通し、満面の笑みで写真撮影をする姿。私はこの光景を見て、自分が半年間やってきたことはすべて無駄ではなかった、そして甲子園を目指して頑張ってきてよかったと心から思えた。それと同時に、今大会を幻で終わらせてはいけないと強く感じた。


甲子園球場で試合をすることは叶わなかったが、今大会にご尽力いただいた多くの方々に、このような貴重な経験をさせていただいたことに心より感謝したい。

そして来年こそ、この阪神甲子園球場で準硬式野球初の大会を。「甲子園」が持つ特別な力を信じて、「甲子園」が持つ特別感を原動力に、来年へのリベンジを誓う。

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