8月22日(火)から8月28日(月)にかけて行われました文部科学大臣杯第75回全日本大学準硬式野球選手権記念大会での経験を通して、感じたことや学んだことを部員が体験記として綴りました。
第3回は、西村 豪朗(4年/法学部/主務・アナリスト)、織田 晴帆(4年/教育学部/マネージャー)の2名です。
ぜひご覧ください!
(全6回)
《全日本選手権 体験記 第3回》
○西村 豪朗
4年/法学部/主務・アナリスト
はじめに、今回の全日本選手権への出場にあたり、多くのOB・OGや部員の保護者の方々が、遥々大阪までご来場いただき直接応援してくださいました。また、現地では声援のみならず連日多くの差し入れをいただき、部員一同皆様からの激励の気持ちをひしひしと感じるとともに、感謝の念で溢れておりました。また、多くの皆様方から支援金もいただきました。チームを代表いたしまして、主務の私から心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。同時に、皆様から頂いたご支援や応援の気持ちに結果で応えることができず、大変申し訳なく思っています。
さて、全日本選手権の話となりますが、私はこの大会が始まる前から、慶應義塾大学との「綾」を感じておりました。世間では早慶は永遠のライバルと叫ばれておりますが、私は因縁とも縁ともまた違う、不思議で得体の知れない「何か」があるなと思っていました。私たちの準硬式野球部での4年間の足跡は、常に慶應義塾大学との、切っても切れない関係性の上に刻まれたものでありました。ここからは少し冗長になりますが、私の視点で全日本選手権出場までと、全日本選手権における慶應義塾大学との「綾」の歴史を振り返ろうと思います。
2021年、私たちが2年生の秋、私たちの代と一個下の代がチームの中核として臨んだ秋季木村杯新人戦、私たちは慶應義塾大学の強力な投手陣の前に散発2安打で敗戦を喫しました。当時からリーグ戦で活躍していた慶應義塾大学・日比谷 元樹投手がマウンドに上がると、まるで大人と子供の試合を見ているかのような実力差を痛感したことを、今でも鮮明に覚えています。この試合を契機に、私たちの代に「このままではいけない、このままでは全日本選手権に出るなんて夢のまた夢だ」という焦りが、共通認識として芽生えたと思っています。
その翌年の2022年春、現慶應義塾大学主将の中野 孝亮が学生委員長を、現早稲田大学主務の私が学生副委員長を務めた東京六大学の春季リーグ戦が開催されました。全日本選手権予選会への切符を賭けた激しい順位争いはもつれにもつれ、度重なる雨天順延にも見舞われました。最終節、慶應義塾大学の法政大学戦での敗戦によって、弊部が他力での全日本大会出場予選会出場を決めました。なんとも言い表し難いこの幕切れは、両校の入り乱れる感情のぶつかり合いをより一層濃くした出来事となりました。
「慶應の分まで」と臨んだその年の全日本大会出場予選会では、その年日本一になる日本大学に大敗を喫し、私たちはあと一歩のところで届かなかった全日本選手権への強い憧れを抱き、「来年こそは」という並々ならぬ覚悟を決めることとなりました。しかし、それは全日本大会出場予選会にすら出ることのできなかった慶應義塾大学も同じで、ひいてはこの頃から「早稲田だけには絶対に負けたくない」という慶應義塾大学の熱量を、宿敵として目に見えて強く感じるようになりました。
清瀬杯優勝の興奮冷めやらぬまま臨んだ2022年秋季リーグ戦では、慶應義塾大学とのカードは第3戦までもつれるも、相手先発・岡見 大也投手の前に手も足も出ず、惨敗を喫しました。この試合、慶應義塾大学からは攻守にイキイキとした躍動感を感じた一方、早稲田はいつもの実力の半分も出せていないのではないかと思うほど、寂れた試合展開でした。実力以上に、気持ちの面も含めてチームとしての総合力の差を感じた試合でした。振り返ると、慶應義塾大学はこの試合での早稲田からの勝利が決め手となり、勝率の差でリーグ戦優勝を果たしました。この頃の私は、「このまま新チームになって春を迎えても、戦力ダウンの少ない慶應には勝てないだろう」と心から思っていました。きっと、そう感じている部員も少なからずいたはずだと思っています。
新チームへの期待と不安が入り混じって臨んだ2023年の関東選手権、私たちは強豪・中央大学を撃破するなど、この大会を第3位という成績で終え、一定の手応えと自信を得ることができました。しかしそんな自信も束の間、いざ春季リーグ戦が開幕すると、私たちは早々に法政大学から勝ち点を落とし、目標の全日本選手権出場に向けて絶体絶命の状態に追い込まれました。ここからは一つでも勝ち点を落としたらまさしく終戦というそんな折、奇しくも迎えたカードは慶應義塾大学戦でした。直前までの慶應義塾大学は、盤石すぎる投手陣を中心とした安定した戦いぶりを見せており、その投手陣をどう攻略しようかと、アナリストとして共に活動する蒲原 実希也(スポ4/捕手・アナリスト/神戸)と頭を悩ませておりました。正直、アナリストとして勝てる自信はなく、相手エース・日比谷 元樹投手を前に少々奇を衒った対策も打ち出すなど、苦心して臨んだカードでした。いざ蓋を開けてみると、早稲田は攻守に圧倒的な集中力を見せてくれ、日比谷投手の攻略に成功するばかりか、リーグ戦MVP投手である長谷川 優太投手からサヨナラ勝利を収める等、出来過ぎな内容で慶應義塾大学から2連勝で勝ち点を獲得しました。この2連勝により、圧倒的優位なポジションから終盤のリーグ戦を進めることができました。結果は2年連続で2位となり、全日本大会出場予選会への出場権を獲得しましたが、またも勝率の差で慶應義塾大学が僅差での優勝を果たし、自分たちが勝ち点を取得したチームに優勝を攫われるという、非常に悔しい思いをしました。
そんな悔しい思いも束の間の6月、1年前のリベンジと目標である全日本選手権優勝を果たすべく、最終関門である全日本大会出場予選会を迎えました。弊部の決定戦の相手は、慶應義塾大学に敗れ2次トーナメントへ落ちてきた神奈川大学でした。神奈川大学は昨年全日本選手権への出場を果たした強豪ではありますが、慶應義塾大学が勝った相手に負けることは六大学の代表として許されないという、強い気持ちを持って挑みました。試合は非常にタフなものとなりましたが、なんとか勝利を収め、悲願の全日本選手権出場を叶えることができました。私たちにとって入部して以来初の全日本選手権に出場できるという事実にとても誇らしく、胸が熱くなりました。また、早慶両校が同時に全日本選手権の舞台へと勝ち上がることができたことに加え、同じ相手に勝利しての出場決定に、再び私はただならぬ「何か」を感じました。
全日本選手権への出場が決まり、慶應義塾大学・宇根 千賀マネージャーと「全日本選手権の決勝戦を早慶戦にしよう」と誓い合ったのも虚しく、德廣副将(文構4/内野手/国立)の渾身の抽選の結果、準々決勝での対戦が決まりました。全日本選手権優勝を本気で目指す上で、德廣副将は抜群にいいくじを引いてくれたと、当時はそう感じていました。また好敵手でありながらも、このようにたくさんの「綾」が織りなすドラマを繰り広げてきた慶應義塾大学と対戦し、勝利した上で全日本選手権大会を優勝したいと、この抽選が決まった時から私は本気でそう思っていました。両校ともにこの大会に懸ける想いは強く、本気で日本一を目指して練習を積み重ねてきたからこそ、分かり合える部分も多くあり、純粋に全日本選手権の舞台で戦ってみたいという想いでした。
いよいよ迎えた8月22日、全日本選手権大会開会式の2時間半ほど前に、主将会議が開催されました。そのため私と春名主将(教4/内野手/早大学院)はチームより一足早く大阪の地へと向かい、比較的時間に余裕を持って主将会議の会場に到着しましたが、その電車に慶應義塾大学の中野主将と毛利主務も偶然乗り合わせていました。非常に些細であり、そんなに珍しいというほどのことではないのかもしれませんが、私はまた底知れぬ「何か」を感じました。そして準々決勝での再会を約束して、それぞれの戦いの地へと赴くことになりました。
弊部は初戦がシードであったため、2回戦からの登場となりました。くら寿司スタジアム堺にて、慶應義塾大学対九州産業大学の試合が行われた後の第二試合の予定でした。ところが突然、前の試合が延長線に突入した頃、球場には強めの雨が降りしきりました。2試合を勝ち切り、勢いに乗った状態で一足先に準々決勝進出を決めて中日を迎える慶應義塾大学に対し、1試合もできないまま大阪の地で3泊をすることになった私たちは、1年前とは逆で雨に泣かされる立場となりました。
そんな中仕切り直しで迎えた近畿大学との2回戦=弊部にとっての初戦は、初回にリードを許す厳しい展開ながらも、春先から得意としてきた決して諦めることのない、終盤に粘り強い野球でサヨナラ勝利を収めることができました。もちろん好投した髙橋隆(法4/投手/早稲田実業)や同点打を放った網野(法4/捕手/早稲田実業)、サヨナラ打を放った松永(スポ3/外野手/早稲田実業)ら試合に出場した選手やベンチメンバーの頑張りが見事であったのは言わずもがなですが、それ以上に今回の全日本選手権で応援団長を務めてくれた宮﨑(スポ3/副務/修道)の先導に応え、声を枯らして応援してくれたスタンドの部員や、いついかなるときもチームを支えてくれたスタッフ陣、そして過密日程の中応援に駆け付けてくれた応援部のリーダーとチアの方々の尽力のおかげで、ベンチスタンドが一体となって掴むことのできた勝利であったと確信しています。もちろん、球場に足を運んでくれたOB・OGの方々や保護者の方々の力も存分に感じることのできた、格別な1勝でした。
そんな勝利の余韻に浸る間もなく、私たちは気持ちを切り替え、翌日に控えた慶應義塾大学との準々決勝に備えて対策ミーティングを行いました。選手たちには激戦の疲れも残る中、総勢25名もの選手の対策を紹介し、備えは万全にしたつもりでした。当日のオーダーが発表されると、慶應義塾大学は主力選手が怪我や体調不良で何名かベンチを外れており、完全に早稲田に分があると思いました。しかし、これが油断に繋がったとまでは言いませんが、間違いなくぬか喜びでした。試合が始まると、相手先発・岡見 大也投手の抜群の制球力の前に手も足も出ず、大敗を喫しました。岡見投手にはここ半年で一番のピッチングをされ、慶應打線には怒涛の繋がりを見せつけられ、まるで昨年の秋季リーグ戦第3戦のデジャブを見ているかのようでした。完全に実力不足、そう言わざるを得ない内容でした。全ての応援してくれた方々に心から申し訳ないと思うと共に、今までの人生で味わったことのないくらいの悔しさ、屈辱を痛感しました。この気持ちは、私だけではなく、あの場にいた全員が感じた気持ちだと思っています。
切り替える時間も少ないまま、恐ろしいことに私たちにとって最後となる秋季リーグ戦はすでに開幕しています。早稲田大学は、私たちの代が入部してからまだ一度もリーグ戦優勝を果たせていません。全日本選手権で感じた悔しさは、後輩たちには必ずや全日本選手権の舞台で晴らしてほしいのですが、私たちの代はもうこのリーグ戦でしか晴らすことができなくなってしまいました。そして奇しくも、秋季リーグ戦の最終節は慶應義塾大学です。この4年間の「綾」の果てに、集大成として必ずや慶應義塾大学にリベンジをし、秋季リーグ戦を全勝優勝で終われるよう、自分に与えられた役割を全うし続けたいと思います。
長々とした文章を最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。重ねて、この度の全日本選手権におきましてご支援、ご声援いただいた皆様に心から御礼申し上げます。チーム目標であった日本一は一個下の代に託すことになりましたが、最後の秋季リーグ戦は必ずや皆様方に優勝の知らせをお届けできますよう全身全霊で戦い抜きますので、今後とも変わらぬご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
○織田 晴帆
4年/教育学部/マネージャー
全日本選手権ではスコアラーとしてベンチに入らせてもらいました。まず4年ぶりに全日本選手権へ出場することができ、そこでスコアを書けたことはとても嬉しかったです。
大会ではチームの強さを実感していました。関東選手権から粘り強く戦い勝ってきた試合は多くあり、今まで積み重ねてきたものが今大会でも発揮されたと思います。
初戦の近畿大学戦では、苦しい展開が続いたものの勝てると信じて声をかけ合う姿が印象的でした。どのような状況でも前を向き、ベンチに戻ってくる選手達の表情は生き生きとしており、勢いがあるなと感じていました。そして勝利した時の喜びは本当に大きかったです。あの嬉しさを味わえたこと、ベンチでその光景を見れたことを幸せに思います。
次の慶應義塾大学との試合では、最後まで食らいつき1点を取ったものの敗戦となりました。チーム目標には届きませんでしたが、今大会を通して嬉しかったこと、大変だったこと様々な経験がありました。残る秋季リーグ戦では、この経験を糧に尽力してまいります。
最後になりましたが、本大会開催にあたってご尽力いただいた皆様、ご支援いただいた皆様、誠にありがとうございました。