8月22日(火)から8月28日(月)にかけて行われました文部科学大臣杯第75回全日本大学準硬式野球選手権記念大会での経験を通して、感じたことや学んだことを部員が体験記として綴りました。
第5回は、春名 真平(4年/教育学部/主将・内野手)、德廣 快(4年/文化構想学部/副将・内野手)の2名です。
ぜひご覧ください!
(全6回)
《全日本選手権 体験記 第5回》
〇春名 真平
4年/教育学部/内野手
まず新チームが発足してから目標に掲げていた日本一を達成するべく、全日本選手権という舞台に立つことができたのは、選手やマネージャー、トレーナーといった部員全員がここまで頑張ってきた努力の賜物だと思います。また大会期間中には、多くのOB・OGの方々や保護者の皆様に応援に来ていただき、いかに早稲田大学準硬式野球部が愛され、支えられながら活動できているのかを改めて実感しました。大会期間中に限らずご支援をいただいた方々に、感謝申し上げます。
昨年清瀬杯を優勝したこともあり、たくさんの期待を胸に、新チームが発足した昨年の11月でしたが、全日本選手権の出場が決まるまでの道のりはかなり厳しいものでした。関東選手権では三位、春季リーグ戦でも優勝することはできず、全日本大会出場予選会でもやっとの思いで勝つことができました。そして苦しみながらも掴み取った全日本選手権だったからこそ、出場が決まった時は本気で嬉しかったです。
日本一の夢を叶えるべく全員で挑んだ全日本選手権ですが、近畿大学との試合は早稲田らしさが詰まっていた試合だったと思います。試合展開は予想していたものとは全く違いましたが、これまでの苦しい試合を勝ち抜いてきた経験によって10回延長で勝つことができました。
しかし大阪という場所で慶應義塾大学に完敗したことは一生忘れないと思います。最上級生が試合に出場していない中で、後輩に頼っていたからこそ主将として後輩を日本一にさせてあげられなかったことは本当に後悔しています。
この悔しい気持ちをぶつけることができるのは、秋季リーグ戦しかないため、必ず慶應義塾大学にリベンジを果たし、リーグ戦優勝を飾って、少しでも後輩たちにいい姿を見せられたならと思います。
〇德廣 快
4年/文化構想学部/内野手
敗戦を喫した慶應義塾戦の試合運びは当然のこと、幹部の立場としては全日本選手権出場が決まってからの日々も振り返ると後悔の念が湧く。主将である春名(教4/内野手/早大学院)が早稲田スポーツ新聞会のインタビューで「全てを悔いている」と答えたのはそういう意味合いも少なからずあったのではないか。
昨秋の新チーム始動時を思い返すと、昨年、一昨年の世代よりも個の実力や経験が劣ることは明白で、春季リーグ戦の勝ち筋すら見えない中でのスタートだった。オフシーズンの多くの時間を個々の地力の底上げに費やし、チームとしての実力や型は実際の公式戦を戦う中で後々身についていったものだといえる。事実、シーズン前の練習試合ではなかなか勝つことができず、焦りや不安がチーム内に蔓延していたことを覚えている。
こうした背景やチームの特徴があるからこそ、長い春季リーグ戦、全日本大会出場予選会を戦い抜き、全日本選手権への切符を手に入れた時はとてつもなく嬉しかった。当初は目標に掲げた全日本選手権優勝はおろか、全日本選手権出場のイメージすら湧かないチームであったことは間違いないので、全員が喜びと達成感に浸っていたと記憶している。
しかし、この余韻に浸りすぎたことこそ全日本選手権で優勝を果たせなかった要因の一つであると私は思う。そして、幹部が結果として手綱を引き締めることができなかったことを強く後悔している。
全日本選手権優勝を目指すと口にはしていたものの、メンバー1人1人のどこかにあった「初めての全日本選手権出場、それ自体に満足していた気持ち」が普段の練習に反映され、どこか浮ついた気持ちで準備期間を過ごしてしまっていたのかもしれない。こうしたチームの歯車のズレに薄々気付いていながらも、春名を中心とした幹部がそれを修正し正しい方向へ導くことができなかったことに申し訳なさを感じる。
今年のチームは試合に出場するメンバーの多くが3年生で来年以降も主力が残る。全日本選手権優勝という目標は果たせなかったが、後輩たちには今年のベスト8止まりの経験を、来年優勝するための糧として頑張ってほしい。口だけでない全日本選手権優勝を目標に掲げて、1年間一つの後悔も残らないように日々最善の準備を尽くし、万全の状態で大会を戦い抜く。各方面からの期待を背負いながらも、それが出来るだけの力やポテンシャルを秘めていると思うので来年こそ必ず笑顔で大会を終えてほしい。