引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。
第4回は、マネージャーの池田 有矢、地主 瑞季が綴った野球史です。
ぜひご覧ください。
(全16回)
俺の野球史④
○池田 有矢(スポ4/マネージャー/名東)
「野球=原動力」
私が野球を好きになったのは、小学校2年生の頃、地元球団・中日ドラゴンズがセ・リーグで優勝した光景をテレビ越しで見たことがきっかけでした。そこからというもの、今まで全く興味のなかった野球にみるみる夢中になっていき、ひたすらテレビで野球観戦しながら独学でルールを覚える日々でした。
小学校卒業後は、地元の日進市立日進西中学校に進学し、運動部で一番厳しいと言われた卓球部に入部します。毎日死に物狂いで練習に励んでいましたが、野球に対する思いは変わらず、夏休みになると部活がない日は必ず甲子園を見ていました。今思うと、甲子園を見るために早起きをして夏休みの課題をこなしていた気がします。
中学時代、部活動に全力投球してしまった結果、第一志望校に落ち、第二志望であった名古屋市立名東高等学校に進学しました。入学前の春休みに卓球部からのスカウトがあり練習に参加しましたが、練習量が少ないことに成長への限界を感じ、入部を断りました。逆に毎日朝練習を行い、土日はいつも一日練習試合をし、ひたむきに活動に取り組んでいた野球部にひかれ、野球が元々好きだったこともありマネージャーとしての入部を決意しました。
そこからの日々は自分の好きな「野球」に毎日近くで関わることができ、本当に天国のようでした。周りの部員からは「野球オタク」といじられていたのをよく覚えています。名東高校野球部は公立高校ということもあり、施設が恵まれているとは言えず、また部員数も20名弱のとても強いとはいえない部活でした。春や秋の大会で早めに予選負けし、その度にプライベートで県大会を見に片道2時間半かけて遠方の球場へ行くほどの野球オタクぶりでした。
最後の夏、コロナで夏の甲子園大会が中止になったときは本当に悲しかったですが、県大会が無事に開催されたときは本当に嬉しかったです。結果は一回戦負けと悔しい結果でしたが、選手たちが最後まで諦めず白球を追いかける姿に感動しました。
その後、進路選択に迷いましたが、将来も野球に関わることがしたいという思いから直接スポーツに携わることができるスポーツ科学部を志望するようになりました。
そして3年間、部活と両立しながら毎日欠かさず勉強した結果、第一志望である早稲田大学スポーツ科学部に合格しました。高校生の頃から準硬式野球部の新歓Instagramを見ていて魅力を感じ、「ここなら大好きな野球に関わりながら自分のやりたいと思ったことも形にできる」と思い、迷わず入部しました。
ここまでの約3年半、大きなやりがいを感じながら日々マネージャー業務を行っています。私は2年時から関東連盟の学生委員としても業務を行っており、甲子園プロジェクトやオーストラリア遠征、オールスター大会など本当に多くのことに関わらせていただくことができました。本当に感謝しかありません。
部では、2年生で清瀬杯優勝、3年生で全日本選手権ベスト8とここまで全国大会でもいい体験をさせてもらいました。今年の全日本選手権では「優勝」という形で締めくくることができるよう、マネージャーとしてその環境を整えることが義務だと思っています。私たちマネージャーも「全日本選手権優勝」を目指す気持ちは一緒です。直接勝利に貢献することはできませんが、スタッフ全員が一丸となり、選手たちを支え、「日本一」の景色を一緒に見に行きたいです。
私は大学卒業後、プロ野球に関わる仕事に就く予定です。将来野球に携わりたいという夢を実現できたのも、多くの方々に支えられていたからこそだと思っています。多くの人は大学生で野球人生が一区切りすると思いますが、私はこれからも野球人生を続けていく身として、準硬式野球部の活動を踏み台に、大好きな野球を原動力に、これからも走り続けます。
○地主 瑞季(文4/マネージャー/山手学院)
「無鉄砲、結果オーライ!」
「野球好き」を初めて、12,3年になります。
1度もプレーヤーを経験したことはありませんが、それでもずっと野球に惹き込まれてきました。
きっかけは、学生時代を野球に捧げた兄にテレビのチャンネル争いで負けたことです。嫌々観始めたプロ野球でしたが、気づいたらハマりにハマり、選手の応援歌を覚え現地に赴くようになっていました。野球の世界に引き込んでくれた兄には感謝しています。
中学時代は、走るのが得意という理由で陸上競技部に所属し、疲れ切るまで走る日々でした。休日には兄の高校野球観戦に赴き偉そうに選手の名前を覚えていました。中学2年生の夏、兄の最後の大会を観て「高校野球のマネージャーになる!」と決めました。受験する高校の条件にも「野球部のマネージャーになれること」を入れて探しました。
高校では憧れの野球部マネージャーになるため、入学式の日に練習中の野球部に突撃しました。行動力と度胸だけは誇れるようです。今思うと「よくやったな」と思います。
強豪校ではありませんでしたが、毎日野球に関わり、部活のことだけを考える日々が本当に幸せでした。コロナウイルスの蔓延の中何とか開催した最後の夏は、神奈川が誇る強豪・東海大相模にコールド負けを喫しました。負けてしまった悔しさよりも、もう部活ができない寂しさで涙が止まらなかったことを覚えています。当初は高校でマネージャー生活を終える予定でしたが、「大学でもマネージャーがしたい」と強く思い、今に至ります。
大学は「本気で野球部マネージャーができるところ」を探し、早稲田大学準硬式野球部に辿り着きました。
受験が終わるのがみんなより少し早かったので、またまた持ち前の度胸を披露し、新歓Instagram開設日に「待ってました」とばかりにメッセージを送りました。
そこからは怒涛のマネージャー生活でした。指導者の皆様・先輩方にご指導をいただきながら「仕事ができるマネージャー」を目指し必死に活動しました。「どんなマネージャーが必要なのか」も分からず、ただ目の前の仕事に熱中することで自分の価値を見出していたように思います。「そもそも私マネージャー向いてないのでは」と思い始めたのも大学に入ってからです。入部当初から明確にゴールを見出して、もっと余裕をもって行動できていれば、今よりも良いマネージャーになれたかな、と後悔しています。
ただガムシャラに突き進んでしまう私ですが、支え関わってくださった皆様には感謝してもしきれません。池田監督、コーチの皆様、OBOGの皆様、連盟関係者の皆様、先輩方、後輩のみんな、そして同期のみんな、挙げ始めたらキリがありません。皆様にたくさん迷惑や心配をかけ今でも力不足なマネージャーですが、これまで本当にありがとうございました。7年間のマネージャー人生が終わるまであと残すところ4か月程となってしまいましたが、お世話になった皆様への恩返しのつもりで、まだまだ頑張ります。
同期へ。口うるさく強気なマネージャーで大変な迷惑をおかけしてきました。それでも仲良くしてくれたみんながいてくれて、日々ものすごい時間まで自主練をしているらしいみんなが活躍していて、いつも本当に誇らしい気持ちです。みんなと4年間部活動に勤しみ、日本一を目指せていること、人生の誇りです。
無鉄砲な行動力で始まったマネージャー生活ですが、あの時マネージャーを始めて心から良かったと思っています。
全日本選手権まであと少し。学生生活最後の全国大会、最高のチームで優勝しましょう。