本日より、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。
第1回は、川和高校出身のバッテリー阿部 剛士と松村 悠生が綴った野球史です。
ぜひご覧ください。
(全16回)
俺の野球史①
○阿部 剛士(社4/副将・捕手/川和)
「七転び八起き」
私が野球を本格的に始めたのは小学校3年生になってすぐのことです。放課後一緒に公園で遊んでいた友人がいるチームに入りました。小学校時代には外野→内野→ピッチャーなど様々なポジションを経験しましたが、小学校6年生の頃からはキャッチャーに定着し、それ以来ずっとキャッチャーを続けています。ひとつ上の代の選手がいなかったため、5年生の頃から最上級学年として試合に出場することが出来ました。小学校の頃が試合で活躍出来た楽しい思い出が1番多いです。
地元の田奈中学校に進学し野球部に入部しました。グラウンドがとても狭かったため、バッティング練習でフライをあげると顧問にこっぴどく怒られました。そんな環境の中で怒られないためにノーステップ打法を身につけましたが、それ以来ヒットを打った記憶がありません。
引退後早稲田実業を記念受験し落ちました。
高校は神奈川県立川和高等学校に進学し松村(教4/川和)、吉田(スポ2/川和)と出会いました。松村は入学式後すぐに声を掛けられ一緒にグラウンドに行ったことを覚えています。吉田は入学して2週間後の練習試合で、先輩である自分からバッティンググローブを借り、3安打を放つという大物ぶりを見せつけてくれました。
高校のレベルは想像以上に高く、自分は取り柄のない選手だと入学直後に痛感しました。それでも周りのレベルに追いつき、追い越すために自分のプレーに常に向き合い、満足することなく練習に取り組みました。するとある日を境に急激に打球に飛距離が出るようになり、以来フリーバッティングキャラになりました。
なかなか結果の出ない苦しい時期もあり、最終的にレギュラーになることは出来ませんでしたが、自分自身の技量の成長を最も感じる3年間でした。
自分自身に可能性を感じ、高いレベルで実力を試してみたいと思い早稲田大学準硬式野球部への入部を決意しました。
以降リーグ優勝や全国大会を経験するなどこれまでの野球人生の中で最も華やかな成績を収めており、心から準硬に入部して良かったと思っています。
残された野球人生はあとわずかですが、精一杯プレーしこれまで支えてくれた両親や仲間達に恩返ししていきます!
○松村悠生(教4/投手/川和)
「優勝への思い」
幼少期にDSのパワプロクンポケット10をやっていたことで野球に興味を持ち、小学校3年生の時に地元の軟式野球チームで本格的に野球を始め、6年生時には主将を務めました。
中学校でも、部活動で野球を続けました。
中学生まではクロえもんや阪神の鳥谷選手に憧れ、野手中心でプレーしていました。
小学校は区大会3位、中学校は区大会準優勝と、小さな大会でもいつもあと一歩のところで敗北し、その頃から優勝への想いが強くなっていきました。
高校は神奈川県立川和高等学校に入学しました。漫画「ハイキュー」の影響でバレーボールをやるか悩んだのですが、入学式の日の野球部の練習に、後に入部する部員の中で、自分以外の全員が参加しており、慌てて一度試しに行ったところ、その後野球部を抜け出してバレー部の体験に行くことはできませんでした。
高校からは試合をコントロールしたいという思いから投手に転向しました。最終学年時は副主将を務め、公立高校として強豪私立を倒す、甲子園に出場するという目標の元取り組んでいました。
しかし、コロナウイルスの流行により春の大会中止、夏の代替大会においても自分が先発した試合で負け、今でも思い出すと悔しい経験となっています。
また、僕の変則フォームがネットで話題になりはじめたのもその頃でした。
大学では、バレーボールサークルに入るか当初悩みました。しかし、野球にやはり未練があり準硬式野球部の入部を決めました。
3年生の関東選手権で、ようやく公式戦初出場、初先発を果たしましたが、関東選手権ベスト4、春季リーグ戦2位、全日本選手権もベスト8とやはりあと少しのところで悔しい思いをしました。また個人の活躍としても到底満足できるものではありませんでした。
さらに、その後の秋季リーグ戦でチームは優勝しましたが、自分は怪我でほとんど何もできず、リベンジを果たす仲間の姿を見て、自分が本当に情けないという思いでした。
その後のリハビリも厳しいものでしたが、やはり原動力となったのがそれまでの悔しい経験や優勝への思いでした。
さらにはリハビリに協力してくれるトレーナー、状態が悪い中でも力を必要としてくれる仲間、応援してくれる家族の存在が本当に支えになりました。
そのため今年の春季リーグ戦で、悲願だった優勝に貢献できたこと、結果で周囲の人に恩返しが出来たことは本当に嬉しく、野球をやっていて良かったと思える瞬間でした。
しかしまだ通過点、全国制覇を成し遂げ最高の結末を皆さんにお見せしたいと思います。