引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。
第9回は、島尻 拓実、平尾 晟登が綴った野球史です。
ぜひご覧ください。
(全16回)
俺の野球史⑨
○島尻 拓実(スポ4/内野手/昭和薬科大学附属)
「ミスター最低限」
野球との出会いは物心がつく前からです。祖父が大の巨人ファンでよく一緒にテレビ中継を眺めていました。小学一年生になった時に本格的に地元の野球チームに入りました。ありがたいことに監督がすぐに試合に出してくれ、楽しく野球をすることができました。印象に残っている出来事は、四年生の時に六年生の試合に出場できず負けたことに対して大泣きしたことです。小学校時代は負けず嫌いでよく泣く子供でした。
中学は昭和薬科大学附属中学校野球部に入りました。野球部に家が近い友達が二人いて、よく部活終わりにその友達とおしゃべりしながら一時間半かけて家に帰っていました。その帰り道でよく寄り道し、両親に帰りが遅いと叱られたことも今となっては良い思い出です。中学時代は楽しく、その後高校まで一緒に野球することになるかけがえのない仲間と出会うことができました。
高校はそのまま昭和薬科大学附属高等学校に進学しました。中高一貫校だったので部員全員が仲良く、とてもやりやすい雰囲気の中で練習を行うことができました。しかし最後の集大成と思っていた高校三年生の夏の大会前に新型コロナウイルスが蔓延してしまい、大会前の二ヶ月練習ができない状態のまま初戦で負けてしまいました。
高校時代不完全燃焼で終わってしまった悔しさから大学では準硬式野球部に入部しました。野球とは関係ありませんが、それまで標準語だと思っていた言葉が方言だと知り、かなり驚きました。大学では入部当初の目標だった「選手としてチームに貢献する」という目標は達成できませんでしたが、様々な同級生や先輩後輩に出会うことができ、入部してよかったと感じています。
これから全日本選手権に向けて精一杯選手をサポートしていけるように頑張りたいと思います。
○平尾 晟登(教4/内野手・外野手/早稲田実業)
「ハンカチ王子に憧れて」
2006年夏。斎藤佑樹選手率いる早稲田実業が田中将大選手率いる駒大苫小牧との激闘の末、夏の甲子園初優勝を達成する姿に日本中が湧いた。当時4歳の私もテレビの前で、その姿に心を躍らせる一人だった。
「早稲田実業のユニフォームを着て、野球がしたい。」この夢を叶えたい一心で、私の野球人生はスタートする。
小学生時代、いち早く硬式野球に慣れたいという思いから、東京中野リトルリーグでプレーを行う。小学生に課すとは思えないような厳しい練習が続く毎日だったが、東京大会優勝など様々なタイトルを獲得し、確実にスキルアップした。
中学生になると当初は強豪シニアチームに所属する。入団当初こそ試合に絡むも、ボールにすら触らせてもらえない練習の日々と極度のスランプが重なり、一度は野球を辞めることを決意し退団した。それでも諦めきれない最初に抱いた夢。友人の勧めや、家族の支えもあり、新たに東京府中ボーイズに移籍し再起を誓った。そこでは、その後中・高・大と同じチームでお世話になる西村さん(令和6年卒=早稲田実業)と運命的な出会いを果たす。共に切磋琢磨し合うも二人でベンチを温めた。
そして遂に高校生となり早稲田実業野球部の門をたたく。だが待ち受けていたのは周囲との圧倒的なレベル差だった。特に、現在は埼玉西武ライオンズでご活躍されている野村大樹さんのロングティーを見た衝撃は今でも忘れられない。それでも間近に迫った夢を達成すべく毎日21時を過ぎるまでグラウンドに残りバットを振り続け、2年秋についに背番号を頂いた。甲子園優勝監督である和泉監督の口から自身の名前が呼ばれたときは、嬉しすぎて頭の中が真っ白になったことを覚えている。しかし、そこからが試練の始まりだった。秋の大会をまさかの出場辞退、春と夏の大会はコロナ禍により中止となり、野球ができない日々が続いた。その間もいつか来る活躍の場を信じ練習は続けたが、本当にその日が来るのかという不安は常に付きまとった。
それでも代替えの東京大会の開催が発表され、遂に憧れのユニフォームに袖を通して戦う時がやってきた。初戦は劣勢の8回先頭の代打として出場し、粘った末に四球を獲得。ベンチ入りメンバー20人のうち18人が出場し、大逆転勝利を収めたこの試合で、改めてこのチームに所属できたことを実感した。その後3回戦はコールドを決めるサヨナラヒットを放ち、準々決勝では遂にスタメンにも名を連ねた。憧れのチームのラインナップに自分の名前が表示されている電光掲示板を見て悔いなく野球人生が終わる、はずだった。
高校野球を引退した後、心を占めていたのは夢を叶えた達成感では無く、甲子園という全国の舞台を目指す事すらできなかった後悔だった。その悔いを晴らすべく2019年に全国制覇を達成している早稲田大学準硬式野球部への入部を決めた。
そして最終学年となった今、自身の代での全国大会が目前に控えている。甲子園ではないけれど、あの日憧れた彼らが見た全国頂点の景色はいったいどんな景色なのだろう。次はこの目で確かめたい。
最後に、これまで夢を追いかけてきたが、決して私一人の力ではここまで到達できなかった。家族の支えはもちろん、指導者やチームメイトなど周囲の環境の存在が本当に大きかったと感じている。
なかでも7年間同じユニフォームに袖を通し、共に戦った空閑(社4/早稲田実業)、髙橋(教4/早稲田実業)、松永(スポ4/早稲田実業)、村上(商4/早稲田実業)本当にありがとう!口に出すには恥ずかしいけど、みんなと一緒に野球ができた7年間は夢の達成よりも大きい一生の財産です。高校時代の苦しいとき、みんなが居たから乗り越えられたと思っています。
今までありがとう。そしてこれからもよろしく。