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2024

【俺の野球史⑮】

引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。

第15回は、蛯原 大河、久保嶋 真也が綴った野球史です。

ぜひご覧ください。


(全16回)

俺の野球史⑮


○蛯原 大河(スポ4/副将・内野手/成城学園)


「仲間に恵まれた15年」


父は野球、母はソフトボールという野球一家に生まれ、小学校2年生の時に地元練馬区の少年野球チームに入ったことが野球史の始まりです。松永(スポ4/早稲田実業)と同じ地域で野球をしていたらしく、もしかしたらどこかで彼とすれ違っていたかもしれません。

入った当初はサードやショートを守っていた記憶がありますが、気づけばマウンドに立っていました。身体も小さく、球も遅かったため、父とひたすら一塁牽制の練習をしてバッターと勝負せずにアウトを取る技を磨く日々でした(ランナーを出すことは確定していました)。6年生の時には、部員が足りず、合同チームとして試合に臨んでいましたが、主将・エース・4番というこれ以上ない肩書きのもと、なんとか1勝することを目指して練習していました。


野球の傍ら、中学受験の勉強もしていて、「大学受験をしたくない」という思いもあり、成城大学のある中高一貫校の成城学園中に合格することができ、入学しました。野球部に入って軟式野球を続ける予定でしたが、初めて試合を見に行った時、鳴り響く金属音と跳ねないボールを見て衝撃を受けました。珍しいことに、学校の野球部がボーイズリーグに所属していたのです(今は軟式野球部になっています)。衝撃的な幕開けで中学野球が始まり、中3の時は副将を努めましたが、部員は20人に満たず、中学でもなんとか1勝することを目指して練習していました。


そのまま高校でも硬式野球部で野球を続けました。我が母校、成城学園高校は2010年、2011年に2年連続で東東京大会ベスト16(現在は西東京)に勝ち残ったのが最高成績で、それ以降は夏2回勝てるかどうかのいわゆる弱小校でした。部員も少なく、自動的にベンチ入りできる環境だったため、3年間サードのポジションを守り続け、試合もたくさん経験させていただきました。余談ですが、主将を務めていた高島という同期は、村上(商4/早稲田実業)と小学校時代のチームメイトだったということで、3人で会うことも時々あります。二人とも似た性格をしていて仲の良さを沸々と感じます。そんな主将とも助け合いながらのラストイヤーでしたが、最後の夏(独自大会)は、3回戦で桜美林高校に4-8で負けてしまいました。こちらも余談ですが、桜美林のセカンドには、日大準硬で活躍している山本創也くんがいたことを覚えています。世界は狭いなあとつくづく感じます。


大学受験をしたくないという理由で成城学園に入ったのですが、「W」への想いを諦められず結局受験することになりました。硬式野球部の練習を安部球場の外から一度見て、「うん、無理。」と父に言い放ち、準硬式野球部への入部を決めました。しかし、体験会で岡田(スポ4/國學院久我山)の爆肩や中澤(商4/金光学園)の糸を引くようなキャッチボールを見て、準硬式のレベルの高さに衝撃を受けました。弱小チームでしか野球をしてこなかった私にとって、ここまでの大所帯で野球をすることは本当に刺激的で、レベルの高い野球を学ぶことができています。中高と副将を務め、大学でも副将を務めることになり、15年の野球人生において、非常にありがたい経験をさせていただいたと感じています。大学では試合に中々出ることができず、今は肩痛と闘いながらの野球生活で悔しい気持ちもありますが、レベルの高い同期の仲間や頼もしい後輩にも恵まれ、全日本選手権への切符も手にすることができ、本当に周りに支えられ、恵まれた人生だなと思っています。

野球人生最後ともなるラストイヤーを日本一で飾れるよう、副将としてもチームを最後まで引っ張っていければなと思います。

必ず、日本一を奪還します!

○久保嶋 真也(社4/主将・内野手/桐蔭学園)


「まだまだの気持ち」


幼稚園の年長の頃、父の勧めで地元のソフトボールチームに入りました。入団してまもなく、人数が不足していたため、小学4年生以下の大会にいきなり出場し、ライトでフライを上から掴み取った場面は鮮明に覚えています。そして、小学校中学年の頃になると、チームの主軸選手となり、地域の選抜チームから声がかかることもありました。そんな明るい記憶とともに、苦しい思い出もあります。所属していたチームの練習は非常に厳しく、半日捕球練習をしたり、股が裂けるほどの柔軟練習があったり、ボールの恐怖をなくすためにマシンの球を受け止める練習など、今では考えられない練習も行われていました。苦い思い出でもありますが、この小学時代に野球技術の基礎や精神力を鍛え上げることができたと思います。


中学では桐蔭学園中学校の軟式野球部に入部しました。3学年合わせて100人近く在籍し、上下関係もはっきりした強豪校でした。入部当初は、プレーを楽しんでいた小学校時代とのギャップを激しく感じていました。特に練習量は異常なほどでした。たとえば、練習試合で不甲斐ない試合をすると1時間ぶっ続けのインターバル走があったり、春の大会に負けると120本以上の短ダッシュトレーニングがありました。その練習量の成果もあり、神奈川県3位、関東近県大会優勝などの結果を残しました。そして何よりも中学時代には野球のこと以前に“組織”について学びました。これは、1人の行動が組織に与える影響力の大きさや、組織の中での自身の立ち位置を俯瞰して適切な行動をとる方法について学ぶことでした。この組織に対する理解は、現在組織を運営する際に非常に役立っており、当時大きなことを学んでいたと日々感じています。


高校では、中学の同期が多く進む軟式野球部に入部しました。高校では自主性が重んじられ、学生主体で練習を行っていたため、練習メニューも学生で情報収集して決めていました。また、地方遠征が多く、約15県を周り、非常に楽しく過ごすことができました。


大学では、浪人中に再燃していた野球欲を満たしたいと考えていた時に、中高の同期が慶應義塾大学の準硬式でプレーしていることを知り、同じ世界でプレーをしたいと考え準硬式野球部に入部しました。1年生の秋には初めてのリーグ戦に代打で出場しましたが、全く結果が出ず、チームも下位にとどまり非常に悔しい思いをしました。同じ過ちを繰り返さないために、小中高で学んできた不屈の精神をもとに、1年冬から現在にかけて準硬式に所属する誰よりも練習量を確保してきました。その結果、個人としてもチームとしても好成績を残してきました。


そして、これから始まる最後の全日本選手権。4年生は学生で日本一を目指せる最後の全国の舞台です。そして、昨年準々決勝で敗れて味わった悔しさを晴らす舞台です。今までの努力を形にするためにも、学生時代の悔いを残さぬためにもチーム一丸となって想いを繋ぎ、有終の美を飾ります。

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