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2025

【俺の野球史⑫】

引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。

第12回は、安藤 皐羽が綴った野球史です。

ぜひご覧ください。


(全14回)

俺の野球史⑫


○安藤 皐羽(人4/内野手/南山)


『BIG LOVE!!』


愛知県春日井市で生まれたBIGな赤ん坊だった私の野球人生は、5歳の時に野球好きの父の影響でユメノというチームで野球を始めました。週4で別の野球教室の練習に参加し、初めて会ったコーチに「どこにでもいるってうわさの子だ」と言われたことが強く印象に残っています。


小学生になり、春日井オルティーズというチームに入ったのですが監督が怖すぎて練習を隔週ほどで休み、行っても頭痛い・お腹痛いでサボっていたのを強く覚えています。さすがにチームを変え、上条スポーツ少年団で野球をしました。地元春日井では毎回のように優勝するようなチームでしたが、上級生の代から運良く試合に出させていただいていました。そこでは数々の優勝や、胴上げ、ナゴヤドーム(現バンテリンドーム)で試合をするなど貴重な経験を何度もさせていただきました。10年経ちますが優勝を決めるサヨナラを打った時の感覚と景色は今でも忘れていません。すごすぎて立浪2世と呼ばれ、対戦相手のチームからうちに来ないかと誘われたこともあります。これもノックバットで頭を小突かれた痛みや私たちを庇ってコーチからのマジ蹴りを受けてくれた同期のチーム愛あってこそだと感謝しております。ここでのチームメイトとは、高校までずっと同じチームで野球をしたり、今も準硬で対戦をしたりと長い付き合いになることとなりました。


中学受験でなんとか南山中学校に合格し、楽そうだからとクラブチームではなく野球部に入部しました。そこでは1年から試合に出していただき、自分たちの代になったところで、チーム事情でまさかのピッチャー転向をしました。サイドスローで野球肘にもなったりしましたが、忖度もありつつ背番号1をいただけたのが一番の思い出です。打席ではホームランのみを狙ってビヨンドを振り回していました。三振かホームランを体現しており具体的な数は言えないんですけど、かなりの数ホームランを打った気がします。練習毎にチームメイトが開催するゴルフ大会に混ざりながらも練習を積み重ね、最後の大会ではサードからピンチにリリーフで登板しました。打者1人に対し4球を投げ、ランナーを1人増やし降板しました。その試合は決着がつかず、結局くじ引きで負け、なんとも言えない気持ちで中学野球生活を終えました。高校でも野球をやろうと思いました。


高校野球は、中高一貫校ということもあり中学3年の9月から始まりました。中学とほとんど同じメンツでの野球となりましたが硬式ボールに慣れずノックでは毎回のようにミスしていました。しかし打撃を評価されたのか、高校1年生になった時から試合に出場させていただきました。その時の夏の予選では私のミスから失点してしまい、大変申し訳なく思っています。試合後、負けて引退する先輩から肩を組まれ、怒られると思いきや「マジでありがとう。これからはお前がチームを背負えよ。」と言われた時は申し訳なさと先輩たちがいなくなる悲しみから膝から崩れ落ちて大号泣したことを覚えています。そこからは野球人生におけるピークを迎え、毎試合2.3本ヒットを打ち、シーズンで15個の死球をもらうなど輝かしい時期もありましたが、自転車でイキって転けたりコロナウイルスの蔓延などでそのピークも終息していきました。最後の大会では強い高校から5点リードをとっていた慢心から2回戦のことを考えていたら逆転サヨナラ負けをしていました。非常に悔しかったです。私は2回もバントをしました。同期とは中学から6年、少年野球からやっていた選手たちとは10年近くをともにしみんな大好きです。


医学部を目指したりするなど紆余曲折ありながら受験勉強を終え、準硬式野球部に入部しました。1年冬までは1打席のフォアボールだけの試合経験しかなく本当に楽しくなかったですが、合宿で全打席安打、準硬では最初で最後となるホームラン(ランニング)を打つなどして私が輝き始めていたことをみなさんも感じたと思います。しかし私たちの代になるまでは数々のターニングポイントでやらかしを重ねたこともあり、Bチームで過ごすことが多かったです。今でもいつの間にか消えているスマホのアラームと太陽という凄まじい光を放つ星を恨んでおります。先輩方がいなくなりサードで出場させていただくことが多くなり、同期のうるさすぎる声のもとプレーするのは本当に楽しかったです。リーグ優勝を決めた時のみんなの顔は忘れません。私も泣きそうでした。怪我もあり満足にプレーできる時期は短かったですが、小学生ぶりに感じた野球の楽しさのおかげでやっと準硬に入ってよかったと思えました。


最後になりますが、ここまで野球を続けてこられたのは最高の同期、可愛い後輩、アツすぎる先輩たちとの出会いがあったからに間違いありません。

全日本選手権で優勝して野球人生最高のラストを迎えましょう!


関わってくれた皆様にBIG LOVE!!

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