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2025

【俺の野球史⑬】

引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。

第13回は、奈須 健伸が綴った野球史です。

ぜひご覧ください。


(全14回)

俺の野球史⑬


○奈須 健伸(スポ4/トレーナー/滝)


『野球への恩返し』


名前の「けんしん」は元中日ドラゴンズの川上憲伸投手から。「オギャー」と言っている僕の隣にはグローブとボールがある。家のテレビには常に中日ドラゴンズの試合が流れている。そんな野球バカ一家の子供が野球小僧になるのは必然だった。小学2年生のときに友達の紹介で念願の少年野球チームに入った。4年生になってからは3番捕手として県の大会で優勝するなどの活躍を見せていた。未来に希望を抱きすぎていた当時の私は甲子園優勝をした中京大中京に憧れ、中京大中京で甲子園に行き、中日ドラゴンズに入団するという野球エリートの道を思い描いていた。


しかし4年生が終わる頃、そんな野球人生に転機が訪れた。親の仕事の関係で家族全員でアメリカへ引っ越しをする。慣れない環境、知らない言語で学校は本当に行きたくなかった。その頃の僕の楽しみは週末の野球しかなかった。入っていた野球チームは日本の野球を教えてほしいと私を温かく迎え入れてくれた。そんなチームのおかげで言語が通じなくても野球をしていたらいつの間にかチームメイトは仲間になっていた。時が経つにつれチームメイトと英語で話せるようになり、そのお陰で学校でも友達が出来るようになった。1番を打ち、投手、捕手、遊撃手を守り、日本人で目立っていた僕はよくチームのMVPによく選ばれていた。


そんな生活も中学2年生で幕を閉じる。アメリカで自信をつけたメジャーリーガー気分の私は日本で痛い目を見ることになる。帰国後すぐ地元のボーイズに入団した。自ら練習をすることもなく、のうのうと野球を楽しんでいただけのマイナーリーガーが毎日必死に練習をしてきた人たちに着いていけるわけもなく、試合に出られない日々が続いた。怪我も重なって、初めて「野球を辞めたい」と感じた。その当時のリハビリやトレーニングを見ていただいたトレーナーさんのおかげで怪我を乗り越えることはできた。それでも試合に出ることはほとんど無く、野球へのマイナスな感情は消えることなく中学野球を終える。


高校では小学生の時に思い描いていた野球エリートの道などこれっぽっちも考えていなかった。そこそこ野球ができて、ある程度勉強もできる環境が良いということで滝高校に入学する。入ってみると練習時間は平日1時間、土日3時間まで、冬の休日練習はほぼ土曜日だけ。さらに、先輩部員は3人のみ。衝撃だった。しかし、そんな環境だったからこそ1年生から試合に出してもらい、2年から毎日キャッチャー道具を持ち帰り練習するなど、とにかく野球に夢中になることができた。2年秋には県大会に出場し、名門・愛工大名電に負けはしたものの1−5の惜敗。学校の制約がある中でチームメイトや監督・部長さん、保護者の皆さん全員で野球に本気で向き合えた時間は宝物で、野球の楽しさを思い出させてくれた環境に今でも感謝しきれない。


長々と高校までの軌跡を書いてきたが、野球が私の人生のほぼ全てだ。そんな野球に一生関わり続けて野球というスポーツに恩返しをしたいという思いから、トレーナーを志して早稲田大学スポーツ科学部に入学する。


準硬式野球部には選手兼任トレーナーとして入部した。1年生では捕手が足りていないこともあり、ベンチ入りメンバーとして清瀬杯優勝を味わうことができた。しかし準硬式野球はそんなに甘くない。試合になかなか出ることはできず、その反動で練習をしすぎて唯一の武器だった肩を怪我する。さらに2年生になると、大学に来た目的であるトレーナーの勉強に時間を注ぐにつれ野球に打ち込めなくなり、それがものすごく中途半端に感じ、いつしか選手をする目的を見失っていた。そこで選手を引退しトレーナー専任になることを決心する。「野球が好き」という感情だけでは野球に本気で打ち込むことの難しさをそこで痛感した。


トレーナーになってからは2年間全日本選手権に出たものの悔し涙を味わった。2年生ではトレーナーとして力になれていない未熟さを感じた。3年生では経験ある先輩方が揃っていたので、これでも勝てないのかという絶望だった。そして迎える新チーム。私は正直来年は厳しいだろうと思っていたが選手全員が全日本選手権優勝を目標に掲げた。選手が立てた目標を叶えられるようにトレーナーとしてできることは全てやると決心した。その分今年は今まで以上に厳しく選手に求めてきたと自分でも思うが、トレーナー陣を少しでも信用してここまでついてきてくれた選手の皆が今こうして全日本選手権優勝のラストチャンスを与えてくれたことがとても嬉しい。中途半端なことが多い準硬式野球部のことを好きになれたことは今まで1度もない。それでも最後はチーム全員で三度目の正直を北海道で叶えて嬉し涙で終えられるようこれまで通り全力でサポートしていきたい。


最後に、今まで携わってくださった指導者や保護者の皆様への感謝を忘れず、今後も野球へ恩返しを続けていきたいと思います。

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