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2025

【俺の野球史②】

引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。

第2回は、足立 健太が綴った野球史です。

ぜひご覧ください。


(全14回)

俺の野球史②


○足立 健太(商4/外野手/早稲田実業)


『環境に恵まれた7年間』


「私は小学3年生から親の勧めで野球を始め…」ということはなく小学生の頃は勉強漬けの毎日でした。兄が中学受験をしたことが影響し、私もそれに追う形で勉強を開始し、早稲田実業学校中等部に合格、入学しました。この頃は野球というスポーツに正直全く関心がありませんでした。


「中学1年生の時、転機が訪れ野球を始めることに…」ということもなく中学生の頃は軟式テニス部に所属していました。所属していたと言っても、真剣にテニスというスポーツに向き合ってはいませんでした。しかし、中学3年次に友達の薦めで野球と出会い、NPBを中心に観戦に行くようになりました。この出来事が自身の今後の学生生活を大きく変えることとなります。

 

高校1年生になり、新たに部活に入部しようと考え真っ先に頭に思い浮かんだスポーツは野球でした。理由には確固たるものがあり、それは幼い頃から取り組む人が多いスポーツで活躍したらかっこいいと考えていたから、というものです。以上の理由から中学3年次から興味を持っていた軟式野球部に入部します。ここから私のスポーツ人生においての快進撃が始まる、ことはもちろんなく、高校3年間は一言で言えば「苦渋」でした。野球というスポーツの難しさを一から体感し、試合で活躍するまでは至りませんでした。どれだけ練習しても守備でエラーは出てしまい、バッティングでは球にすら当たらない毎日を繰り返していました。それでも中学までの生活とは明確に違う点が一つありました。それは途中で投げ出さなかったことです。中学までは真剣にスポーツに挑んだことがありませんでした。しかし、高校の軟式野球部では厳しい現実と対面するも心の中には熱いものが燻っていました。

 

その熱いものの解放を求め、高校からの先輩である藤澤さん(令和7年卒=早稲田実業)の紹介で大学では準硬式野球部に入部しました。結果的にここでも野球の実力が花開くことはありませんでしたが、実際の試合ではない場面で貢献しようと奮闘しました。ここまでの文章だとバッドエンドに聞こえるかもしれません。しかし、私は全く後悔していません。たとえ野球で実力が花開くことはなくても、大学まで野球の部活動を続けられた自身を誇りに思っているからです。

 

最後に、高校3年間、大学4年間の間お世話になった同期、先輩後輩、コーチ、監督方にこの場を借りて感謝を申し上げます。特に、主将の井上(スポ4/栄東)は1年生の頃からずっとキャッチボールの相手を務めてくれました。他にも、先輩方には様々な面で迷惑をかけたにも関わらず、優しく指導して下さいました。本当に振り返ると周囲に恵まれた7年間の野球生活でした。

 

残された野球人生では、このチームの最高の結末を共に見届けられるようにさらに精進します。

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