引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。
第4回は、長岡 慶次朗が綴った野球史です。
ぜひご覧ください。
(全14回)
俺の野球史④
○長岡 慶次朗(スポ4/内野手/豊多摩)
『置かれた場所で咲きなさい』
2歳上の兄の影響で、小学校1年生の時に地元の少年野球チーム、馬橋小少年野球クラブに入団し、野球を始めました。記憶はほとんどありませんが、友達と過ごす時間が楽しく、練習が終わってからも公園で遊んだり、友達の家でゲームをしたりしていました。そんな時間を過ごし小学校低学年が終わり、高学年になった頃、父の勧めで硬式野球チームの板橋リトルに入団しました。周りのレベルが高く、ここでやっていけるのかと不安に思ったのを今でも覚えています。ただ、心優しいチームメイトのおかげで硬いボールにも徐々に慣れ、最後の半年ぐらいは毎試合のように打っていた記憶があります。この時が、野球人生のピークだったかもしれません。
中学では、板橋シニアに入団しました。自分は人一倍背が小さかったため、周りの選手が異常に大きく見え、グラウンドも果てしなく広く見えていました。監督の罵声や怒号が飛び交うグラウンドで、上手くなるための野球ではなく怒られないための野球を必死にやっていました。絶対取れないような打球も必死に飛び込み、全く喉が通らないご飯も口に詰め込み、とにかくずっと泣きながらの野球でしたが、今思えば価値のある時間だったなとつくづく思います。
高校は、試合に出られるようなレベルの野球部で、学力もちょうど良く、家からも近いということで、都立豊多摩高校に進学しました。1,2年生の頃は思うような成績が全く残せず悔しい思いをしましたが、自分の代で試合に出られるようになり、秋の大会ではヒットも打てて最高に楽しかったのを昨日のことのように思い出します。しかし、春の大会に向けて練習を重ねていたある日、通学中に自転車で転倒してしまい骨折。試合に出場できずチームも初戦敗退と非常に悔しい思いをしました。そして、最後の夏の大会に向けてリハビリを続け、復帰した初日、元々壊していた肘が爆発し、手術必須の大怪我をしてしまいました。それでも試合に出ることを諦めきれずに、壁当てをしたり、片手素振りをしたりできることは全て行いました。しかし、ここで再び最後の試練が訪れます。リハビリ中に自転車転倒で怪我した腕を再び骨折。そしてまた手術。笑っちゃうくらいに怪我が相次ぎました。何をすればいいのか分からなくなり、病室で1人、生物の教科書を読み続けていました。これまでの人生で目立った活躍ができていなかった自分が、関わってくれた全ての人に恩返しをする舞台として位置づけていた夏の大会、それが全て水の泡になってしまい、やるせなさや不甲斐なさ、申し訳なさで胸がいっぱいでした。野球部を辞めようかとも思いました。しかし、監督に伝令はできるのかと聞かれ、「みんなが受け入れてくれるのであれば出来ます。」と答え、ベンチに入れてくれました。人数が少ないから、豊多摩だから出来たことです。ベンチに入ったからには、戦力として貢献しようと思い、自分に与えられた役割を全うしました。自分がプレーできなくてもチームに貢献できる形は必ずあるということを学ぶことができました。高校3年間は、自分自身が最も成長できた3年間であり、大きな財産となりました。この経験から、自分の座右の銘は「置かれた場所で咲きなさい」という言葉になりました。
大学受験では、東京都立大学を第1志望に勉強し、1次の共通テストでは12位と好成績を収めましたが、「100%受かる」と言われていた2次の面接で見事に落とされました。しかし、受かると思っていなかった早稲田大学スポーツ科学部に合格し入学を決めました。入学後は、高校時代に不完全燃焼で終わった野球をもう1度やりたいと思い、準硬式野球部に入学しました。早稲田実業や早稲田佐賀など強豪校出身の選手と一緒に野球ができるというだけで自分にとっては幸せでした。周りのレベルが高く悔しい思いをすることも多々ありましたが、今ではリーグ戦に出場するまでに成長することができました。そして月日が経ち、恵まれたチームメイトと野球ができるのは残りわずかとなりました。全日本選手権では、どのポジションでも自分に与えられた役割を全うし、最後くらいはチームに貢献し、日本一になれるように死力を尽くしたいと思います。
最後になりますが、こんな自分ですが唯一人より優れていると思う点は、「周りに恵まれる才能」です。親をはじめ、監督やコーチ、そしてどんな時でも自分を見捨てることなく優しく接してくれたチームメイトには感謝しかありません。また、自分の人生を彩ってくれた野球、人格者になることはできませんでしたが、人格形成の場を与えてくれた野球は、自分にとって最高の宝物です。残りわずかな準硬生活ではありますが、怪我をせずに最後まで突っ走りたいと思います。
稚拙な文章でしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。