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2025

【俺の野球史⑥】

引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。

第6回は、小栁 陽登が綴った野球史です。

ぜひご覧ください。


(全14回)

俺の野球史⑥


○小栁 陽登(社4/外野手/坂戸)


『野球先生』


私が野球を始めたのは小学2年生の頃、友達と遊ぶために放課後参加していた少年野球団で試合に出てみたいと思い正式に入団したのが始まりだった。当時私は問題児として学校では有名だったらしく、入団する際は父兄(ママさん)達はざわついていたらしい(母親談)。入団して早々私を特に可愛がってくれるコーチ達に出会った。「挨拶しろよ」、「返事ははいだろ」、「全力で走れ」と笑顔で私に真摯に向き合ってくれるあたたかいコーチ達だったことは今でも夢に見る。この時期が私の根性や、集団の中での生き方、大人との接し方を養ってくれた本当に大事な時期であった。本当に少年野球時代の恩師には感謝しかない。


中学時代、1年生の頃は当時の顧問の先生と馬が合わず、一時期野球を辞めようか考えるほど楽しくなかった。しかし、2年時に中学野球の恩師となるS先生と出会う。赤いジャージの上下にサングラス、まさしく私の野球の救世主である「赤い彗星」が現れたのであった。S先生の口癖は「無難に生きるな」であった。「進んで人の前に立ち、恥ずかしいこと、緊張すること、無気力な人間が嘲笑する様なことをしろ」と野球だけではなく人間の在り方を教えてくれたのだ。結果、20年も県大会に出ていない弱小校を県大会に導き、高校で野球を続ける生徒も過去類をみないほど多かった。私はS先生の人に前を向かせる力を尊敬し、恩師であると思っている。


高校時代、私は非常に野球が下手で監督やトレーナーさんに気にも止められない立場を味わった。そんな時、出会ったのが私の野球技術の恩師、T先生である。T先生は私にも分け隔てなくバッティングや、守備のテクニックを教えてくれた。ここで私は一つの目的に対して多角的なドリルを用いて取り組むことが重要であるということを教わった。T先生の指導を信じ練習に取り組み3年最後の夏にレギュラーをとったことは一生忘れない成功体験であった。


高校で成功体験を味わってしまったからかある種の燃え尽き症候群にかかり、大学で野球をする気は全くなかった。しかし、ここで私が今まで野球を続けているきっかけとなった出来事があった。浪人時代である。浪人は人生の集大成であった。偏差値34から無難な道を選ばず、早稲田を目指し、多角的なアプローチで勉強を計画立て、根性で1日16時間勉強した。一時はやめようと思った野球だがこの浪人期間、野球への思いがぶり返しまた野球に向き合おうと思えた。


大学では、先輩からの勧めで準硬式野球部へ。自分を律してくれる存在がいない初めての野球環境で自主的な練習だけのメリットとデメリットを大学では学ぶことができた。ここでは未だ恩師と呼べる人には出会っていないが、先輩、同期、後輩にはとても恵まれたと思う。野球は私の人生の中の人を繋ぐ大事なピースであり、生き方を学ばせてくれた先生でもある。大学で本格的な野球とは離れることになると思うが、何かしらの形でこれからも野球に感謝し、野球から学んでいきたいと思う。

コメント
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まっち
2025-07-28 12:11:16

とても良い指導者、仲間に巡り合えてラッキーな人生ですよ。
恩を感じているのなら、人生はこれからなので、どんな道に進んでも、自分の経験を生かして、人を育てる立場になってほしいと願います。
きっとできると思います。
でも、その根底には素晴らしい家族がいることを忘れずにね!
私も、あなたや、あなたのご家族と出会えて、ラッキーな人生です。
ありがとね。