引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。
第7回は、小林 響が綴った野球史です。
ぜひご覧ください。
(全14回)
俺の野球史⑦
○小林 響(スポ4/副将・内野手/浜松北)
『肥満児』
お世話になっております。副将の小林です。
吹奏楽部出身の両親のもとに生まれた私は、「響」と名付けられました。物心つく前から音楽教室に通い、毎日ピアノに向かいました。しかし自分には音楽センスも、音楽に対する熱意も全くありませんでした。そんな私が興味を持ったものが「野球」でした。気づけば毎日テレビにかじりつき、巨人戦を観るようになりました。
「野球がやりたい!」と両親に泣きついた結果、小学校2年生のときに地元の子ども会の「市野東ソフトボールクラブ」に入ることに成功しました。同級生はほとんどいませんでしたが、野球に似た競技ができることが楽しくてしょうがなかったことをよく覚えています。この時のチームスローガン「元気に楽しく力いっぱい」は、自分の野球人生に強く根付いていると思います。5年生になるタイミングでチームの人数が足りなくなってしまったため、隣の小学校の「篠ケ瀬ソフトボールクラブ」に移籍しました。この頃には縦にも横にも身体が大きくなり、バッティングが急成長したのも覚えています。6年生最後の大会では、2本ホームランを打つことができ、景品のお菓子をたくさんもらいました。野球とは関係ありませんが、6年生の3月に妹が産まれ、兄としての自覚が芽生えました。
地元の浜松市立与進中学校に進学し、軟式野球部に入部しました。入学当初はまるまると太っていて、クラスメイトにからかわれていました。2年生からセンターで試合に出られるようになり、県大会を目指して部活に励みました。自分の代になってからはピッチャーも始めましたが、コントロールが悪くチームメイトによく迷惑をかけました。ストライクが入る日は、110キロ中盤の直球とキレの良いカットボールでそこそこは抑えられたような思い出があります。(美化されている可能性もあります。)最後の夏の大会では、最終回にセンターの自分とライトの太田くんが衝突するというアクシデントを起こしてしまいました。太田くんは骨折し救急搬送、2点差をひっくり返され試合はサヨナラ負けという悪夢のような最後でした。勝てば県大会という試合でしたが、自分のせいで負けるというとても悔しい結果でした。
その後は地元の静岡県立浜松北高等学校に進学し、硬式野球部に入部しました。入部当初は高校野球のレベルの高さに驚愕し、ついていけるのかとても不安でした。受験期でまるまると太っていた私は、打球に追いつくことができず、気づいたときには内野にコンバートされていました。今振り返ると、高校生活はとても苦しいものだったと思います。部活のしんどい練習(捕りこみ、パコティー、Δ走、468、全員バント等他にも色々あります)に加え、進学校であるがゆえの多くの課題、模試など今とは比べ物にならないほど多忙な日々を必死になりながら送っていました。その甲斐あってか、1年秋から試合に出していただき、多くの経験をすることができました。最上級生となってからは主将を務めました。先輩や後輩そして同期には多くの迷惑をかけましたが、とても濃い時間を一緒に過ごせました。最後の夏は3回戦で敗退となりましたが、応援部や吹奏楽部をはじめとする多くの方々の応援をいただき、とても嬉しかったです。2回戦では自分のポテンヒットが決勝点となり、地元紙に載ることができました。両親がとても嬉しそうにしていて、今まで野球を続けてきて良かったと心の底から思いました。
運良く早稲田大学に合格でき、準硬式野球部に入部しました。ちなみに受験期にまるまると太っていました。(現主将の井上(スポ4/栄東)いわく「ほんとにこいつ野球やってたの?」っていう感じの体型だったらしいです。)今までずっと野球をしてきた自分に、野球を続ける以外の選択肢はありませんでした。大学準硬式は、今まで自分がいた環境と比べ一回りも二回りもレベルが高く、先輩方の活躍をスタンドから応援する日々が続きました。先輩方の背中を目指し、全体練習だけでなく同期と一緒に自主練にも励みました。その結果、去年の関東選手権で初めてベンチ入りすることができ、今では副将を務めています。春季リーグ戦では、自分はあまり活躍できませんでしたが、心強いチームメイトたちのおかげで優勝することができました。長い野球人生ですが、「優勝」という経験ができたのはこれが初めてだと思います。ですが、まだまだ道半ばです。北海道で必ずや全日本選手権優勝を成し遂げ、地元浜松の大先輩でもある池田監督を胴上げします。
最後にはなりますが、これまで自分を支えてくれた全ての方々に心より感謝申し上げます。特に自分が野球を始めることを許してくれた両親に言いたいです。「野球始めてよかったでしょ?」と。休日にも野球があり、小さい妹を遊びに連れて行けなかったことに関しては本当に申し訳ないです。お詫びに来年パルパルに連れて行きます。あと数ヶ月、見守っていてください。