引き続き、4年生が自身の野球人生を振り返って綴った野球史をご紹介いたします。
第8回は、井上 慎太が綴った野球史です。
ぜひご覧ください。
(全14回)
俺の野球史⑧
○井上 慎太(スポ4/主将・外野手/栄東)
『野球と共に』
野球好きの父親の影響で小学1年生の秋に地元の少年野球チームに入り、本格的に野球を始めました。5年生の時に近くのチームと合併したことで人数も増え、地区内では何度か優勝を味わうなど非常に楽しい時間を過ごすことができました。
中学時代は越谷リトルシニアに入団しました。元々伝統のあるチームでしたが、一時期活動を休止していたこともあり、自分たちが再スタートの初代となりました。入団直後こそバッティングで手応えを感じるなど順調なスタートを切ったものの、サードで出場した最初の練習試合では、初回に3エラーして絶望した記憶があります。その後は守備難でしばらく試合に出られない状況が続きましたが、秋にあった最初の公式戦の頃には外野にコンバートし、なんとかスタメンを勝ち取ることができました。そして中学最後の大会であったライオンズカップ、1回戦は西武ドームで行われ、そこで2安打を放つなど非常に貴重な経験をすることができました。しかし、県営大宮球場で行われた2回戦では、チャンスで2三振した挙げ句、やる気が見えないという理由で懲罰交代となり、そのままチームは敗戦。中学野球の幕は不本意な形で閉じられました。
このような中学野球の裏でそこそこ勉強していたつもりでしたが、第一志望の公立高校に落ち、栄東高校に入学しました。かなり勉学に力を入れている学校で、小テストなどで合格できないと部活動に行けなかったため、両立するために必死に勉強しました。最後の夏の大会では、チーム事情で中学時代のトラウマが残るサードに戻ることになりましたが、大きなミスなく乗り切ることができました。そして3年間で初めて初戦を突破したものの、悲劇は2回戦に待っていました。5-4で迎えた9回裏、2死1.3塁から味方のミスでまさかのサヨナラ負け。私自身もこの試合では無安打で全く活躍できていなかったこともあり、中学に続き高校野球も非常に悔しい幕切れとなりました。
大学では、本気で野球に取り組む最後の機会と考え、全国を目指せる高いレベルの準硬式野球部に入部しました。今までと比べて、野球に取り組むことができる時間が増えたこともあり、野球人生で一番成長を感じた、そして一番濃い時間であったと感じています。そしていよいよ自分たちの代となり、幹部発表の日、まさか自分が主将になるとは夢にも思いませんでした。新チーム始動時は様々なことで悩むことも多かったですが、仲間たちに支えられてきたおかげでここまでなんとかやってくることができました。特に春季リーグ戦では、一番大事な終盤で私自身が怪我でプレーできない中、皆の頑張りで優勝を味わうことができ、本当に感謝しています。
野球人生の終わりが近づくと共に、全日本選手権もすぐそこに迫っています。ここまでで心残りであることは、春季リーグ戦の優勝の瞬間に一緒にマウンドに集まることができなかったことです。全日本選手権では優勝を掴み、一緒にマウンドに集まりましょう。
最後になりますが、これまでの野球人生で本当に多くの方に支えられてきました。特に両親には野球を始めてからの16年間、本当にお世話になりました。
これまでの感謝を胸に、最後まで悔いの無いようやりきります。